


日本史講師の田中一平先生に現代史の講義の一部抜粋です。
田中一平先生が言うには、小沢一郎が 鳩山内閣に入閣していたら、小沢は二つの政策を実現しただろうと語った。
① 普天間基地をグアム、テニアンに移転していた。
これは、米側から「普天間を県外もしくはグアムテニアン移設することに問題はない」との発言、回答を得ていたことが一般に知られているからである。
鳩山総理が政治力を使って動かす力量がなく、また動かす努力もしなかった。
小沢が国家戦略大臣で入閣していたら、確実に普天間はグアムテニアンに移ったと田中一平先生は語った。
② 2009年当時の民主党のマニュフェストの多くを実現しただろう、と。
小沢が国家戦略大臣でもし、入閣していたら、彼は一般会計100兆円の他に、特別会計 200兆円に手を入れて、マニュフェストを実現していただろう、と田中一平先生は語った。
鳩山総理は、飽くまで一般会計の範囲内だけで予算を作ろうという考えで、特別会計に手を入れるという考えの小沢とは全く異なった。
小沢が入閣しなかった、もしくはできなかった理由として、田中一平先生は、体調と病気を原因として挙げていた。
しかし、私は裏にもっと大きな原因があると思う。
2009年 3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書が逮捕、起訴された。5月、小沢は代表を辞任した。
そして小沢自身も冤罪となった「陸山会事件」などもあって、テレビのキー局が一斉に毎日、小沢へのネガティブキャンペーンを展開した。
昼間のワイドショーなどは、小沢の動画を流して、不気味な音楽をバックに流して、小沢にネガティブな印象を与えようと必死だった。
冤罪が確定した時には、小沢としては時既に遅かった。
私は確信している。これは国策だったと。国策として、小沢つぶしをやったんだと思っています。
小沢は冤罪が確定するまで、被告人としてニュースで取り上げられた。