盧溝橋事件のきっかけは、うわさでは毛沢東の共産党が、日本軍と国民党軍を戦わせる為に発砲した、とも言われている。
当初、日本軍が一時的に北支に進撃したのは、なんとか理解できる。
でも、そこに長く居るメリットは有ったのか?
当時の国際情勢を見ると、アメリカ、イギリスなどは、自国の資本家たちが中国に工業製品などを売って、一儲けしたがっていた。
中国は米英の市場として、当時、またそれから先に魅力的と判断したいた。
そこを、中国というマーケットを日本が独占しようとしているのではないかと、恐れる見方があった。
それで、米英は国民党軍に、軍事訓練や、軍事物資やお金などの支援を行った。
その動きは、当時は日本にも諜報機関はあり、また当然欧米系の新聞なども読んでいたし、米英が国民党にテコ入れしていることは日本政府は知っていた。
このまま国民党政府と戦争をして行けば、いずれは米英と衝突するということは解っていたはずだ。
冷静に考えれば、米英との衝突を避ける為には、国民党政府と和平協定を結んで、満州まで撤退するしか方策は無かっただろう。
満州さえ押さえておけば、ソ連の南下政策に対抗することは出来た。
近衛文麿と西園寺公望らは、「意図してわざと欧米と戦争をしたかったのか?」
そうでなければ、他に有力な理由があったのだろうか?
今から振り返ると、日華事変、日中戦争は何の為に戦っていたのか、さっぱり解らない。
もちろん、統帥権の関係で、陸軍の意見も無視できなかった部分はあるでしょうけど、近衛や西園寺などは、一定の発言権があり、影響力を行使できる立場だった。
当時の陸軍の仮想敵国はソ連だった。
そこを踏まえても、日華事変の日本のメリットが何だったのかが非常に解りにくい。
当時としては、合理的な理由があったのでしょうけど。