私は、日本は政党政治を続けるべきだったと思っている。
 どうして、政党政治をやめなければならなかったのか、一つの解答を得た。

 日本の軍部は皇道派と統制派に分かれていたが、226事件で統制派が勝利を得た。
 
 統制派、というのは統制経済、社会主義経済を目指していた。
 天皇はそのまま据えておいて、経済はロシア革命にならって、統制経済にするという一派だ。

 彼らの多くが、親ソ連、親毛沢東だった。
 
 ソ連が共産党による一党独裁体制を敷いて、そこそこの実績を宣伝していたので、日本のインテリ層や、軍部、政治家も共産主義を理想とする人物が、予想以上に多かった。
 
 それで、ソ連と同じ、一党体制を敷くということで、政党を解散して、大政翼賛会に統合していったのだった。

 共産主義、社会主義の嵐が日本でも吹き荒れていた結果だったのだ。

失われた30年  GDPの推移  日経平均の推移  物価の推移  デフレ  平均所得 
 所得の中央値  所得の最頻値  平均年収の推移  各国の時給の推移  各国の購買力平価 
 安い日本  非正規雇用  構造改革  民営化  グローバリズム  MMT  リフレ派 
 積極財政  新自由主義  人口減少  レジ袋有料化  少子化  非婚化  結婚できない  
 非正規雇用  出生数の推移  国連人口統計  出生率予測  フランスの出生率  
 移民政策  介護人材  外国人労働者  大東亜戦争  自衛隊  高崎市役所  生活保護  
 不正受給  神川町役場  社会福祉課  福祉課

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