投稿者:ジュリア 投稿日:2005年 8月25日(木)21時02分32秒編集済 どのような方策にも一定の方向性があるのは認めます。でも「決定していることだから正しい」と言う論調は画一的過ぎませんか?問題の解決は1つではないはずです。同和問題を決定事項と違った方法でアプローチすることは同和問題の解決に逆行することに直結するのでしょうか? ジュリアさんが同和地区出身者で発言されているのは勇気あることで評価できますが、同じ同和出身者で消極的解決を望むひとの希望を「根性なし」 の一言で片付けることができることが驚きです。 ジュリアさんのその姿勢は立場が変われば、誰かを傷つけかねない危ういものだと思います。 一つ例をあげますとアメリカでは自殺の連鎖を国立衛生研究所が伝染病と扱ってメディアの規制を行うことがあるそうです。それは社会的に影響の大きい自殺事象がメディアを通じて広く知れ渡った時に、それによって精神的に不安定な若年者の自殺を誘発することがあるからです。つまり、言葉や概念が事象を発生させる一要因となることもあると言うことです。 差別に関しても「同和」という概念さえ知らない子供は、他の差別をしたとしても「同和」という差別はしないとは考えられませんか? 「同和」に関しては古い大人たちがもっている差別意識が親から子へと受け継がれていることが一番の問題ではないかと思います。むしろ教育すべきは子供ではなく親など上の世代ではないかとさえ思います。 また全く教育は必要ないとは思っていません。差別教育の一環として同和が取り上げられるならまだしも、他の差別とことさら区別することに大きな意味があるとは思いません。 差別をなくす為にボクらが真に学ぶべきは「差別を生む社会構造」や「差別を生む人間の 精神性」であって「同和の歴史」ではないと思っています。 これは「同和」を軽視しているからではなく、問題の本質をとらえる上で重要だと思うからです。 どうしても同和教育をといわれるのであれば他の差別についても同様に教育すべきだと思います。 そもそも、同和教育を行っている地域と行っていない地域での差別の発生について、過去に考察されたことがあるのでしょうか?問題を考える上においてはもっと客観的なデータが必要かもしれません。 改めて申し上げますが、ボクは「同和教育をするな」と言いたいのではなく、同和だけでなく差別全般に対して消極的な人や方策が差別を助長していると断言しているジュリアさんの意見は、画一的で偏っていると申し上げたいのです。 しかもその理論にのっとって、選挙立候補者の「落選を声高に呼びかけること」は一般常識としてはかなり問題があると思います。 ちなみに申しますが、ジュリアさんの >貧富によるさべつは実社会で全ての貧困層が感じることです。 というご意見はまさに差別を見逃す一般的思考であることにお気付きください。http://akisue.com/page030.html |
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