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フランク・コステロ 近現代マフィアのホワイト企業経営と献金

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1891.01.26  出生時名 フランチェスコ・カスティーリア(フランク・コステロ)は南イタリアの田舎で生まれた。
1895に渡米、ニューヨーク東ハーレムに住む

そこでは移民、イタリア系、アイルランド系、ユダヤ系は就職から排除されていた。

イタリア系とアイルランド系は、ローマカソリックだったため、在来のプロテスタント系アメリカ人から迫害されていた。
ユダヤ人も、非キリスト教徒、異教徒だから迫害されていた。

フランク・コステロは表の社会ではほとんど失業するしかなかったので、彼は裏社会で働き始めた。

喧嘩や恐喝など、主に暴力を使用して利益を得ていた。

そして彼は犯罪者として何度か懲役に服した。

1914年、彼は伴侶となる ロレッタ・ガイガーマンと結婚した。
その時から、彼はかねてから考えていた裏社会の近代化を実行した。

その時に彼が組んだのが チャーリー・ルチアーノだった。

彼はルチアーノと組んで、幾つかのマフィア哲学を作り上げた。

その一つは暴力を使わないで儲けることだった。

金儲けの為には、カネと人脈コネクションと、頭脳の計算を使うことだった。

1920年に禁酒法が制定されると、彼らはカナダから酒を輸入して、パブ・バーで販売して莫大な利益を得た。

そして、1929年には 全米の イタリア、アイルランド、ユダヤ のマフィアを集結して、「全国犯罪シンジケート」連絡会議を設立し、マフィア間のトラブルを話し合いで決着をつける方式を採用確立した。

そして、彼らは、スロットマシンや、カジノ、の他に表のホワイト産業である、食肉産業、ナイトクラブなどに出資してホワイト企業から普通に営業して利益を得るようになった。

この裏社会の仕事をしつつ、同時に表の大企業などを経営するスタイルは、この時、明確に確立された。

そして、このギャングが企業経営をするスタイルは、アメリカや日本でも主流になった。

フランク・コステロは暴力を使わなかった。

彼は、政治家には政治献金をして、裁判官には相談料を収めて、警察署長、警察官には給料や心づけを払った。

政治家と、裁判官と警察は、フランク・コステロの友達になった。

そして彼は、当時、東部民主党のタマニーホールに出入りし、そこで主流になっていた、選挙の票を買う、裁判官、警察署の昇進を買うことにいそしんだ。
これは当時だれでもやっていることだった。
20年代30年代からの民主党のやり方になっていた。

1943年に裁判官との不明朗な取引が検事によって盗聴されて、それが原因で彼の尋問がテレビで公開された。

1957年05月20日、彼のライバルだった、組織の ヴィト・ジェネベーゼの手先によって命を狙われたが、奇跡的に軽傷だった。

これを切っ掛けに、フランク・コステロは相談役になって身を引く。

彼がやったことは、暴力を使わないで資金を集める方法だ。

カネは政治家、裁判官、警察に配る。

そして、マフィアが自動車屋や、ナイトクラブ、競艇、港湾労働、焼き肉屋、デリバリーヘルスなどの経営者として、経営者として会社をマネージして、それで政治家などを飼いならすことが普通に行われることになった。

1960年のJFケネディの選挙にあたっては、彼がローマカソリック、アイルランド系だったことから、少なくともアイルランド系のマフィアがタマニーホールの様に票を買いまくってケネディを支援した。
また、ケネディ事務所にはアイルラン系マフィア、ユダヤ系マフィア、イタリア系マフィア、その他マフィアと友好関係にある大手銀行や、大企業が政治献金をした。

また、現在では、マフィアはブロードウェイを金銭面で支援しており、また日本では芸能界を支援統治している。

普通の車屋、食品サービス店や建物解体業、花屋などを普通にマフィアが白く、ちゃんと商法民放刑法を守って経営して、利益を得ている。
しかし、それと同時に裏社会の会合があれば、出て行って話し合いをする。

これが近代、現代式のマフィア運営方式です。

出来るだけ暴力は避ける。そして献金や相談料で多くのカネを握らせる。

自分の推している政治家を当選させる。資金と選挙スタッフを送る。

盤石の体制だ。
ただし、日本マフィアは組織の高齢化と、組織のステルス化が問題になっている。

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