1905年9月、日露戦争の講和条約が結ばれた。これがポーツマス条約である。

日露戦争は完全な日本の勝利に終わった。

ロシアは朝鮮に手出ししないことを約束した。

そして、ロシアは遼東半島を日本に割譲し、満州での日本の活動を承認した。

ロシアは満州と朝鮮を自国領土にしようとしていたが、その野望は崩れた。

1910年、日本は大韓帝国(朝鮮)と日韓併合条約を対等な立場で締結し、朝鮮は日本の一部になった。

しかし、この政策は日本にとっては最悪の政策だった。

この日韓併合条約は、朝鮮を植民地として支配するのでは無く、飽くまで自国領とする内容だった。

当時の朝鮮はまだ産業革命も起こって居らず、日本は朝鮮を植民地ではなく、自国領としたことで朝鮮の国土開発の為に莫大な予算を割くことになった。

具体的には水道を整備し、小学校を作り、鉄道を作り、街を作った。

しかも、朝鮮人はもともと南部は日本人の血が強く入っていたが、中部北部は高句麗、女真族の血が入っており、日本人との共存は朝鮮人の粗悪な性格上、非常に難しいことだった。

この頃、アメリカは満州の鉄道を日本とアメリカで共同経営をしようと提案をして来た。

アメリカも満州の鉄道の株主になって、満州の統治権を獲得し、中国へのアメリカ製品の輸出の拠点にしようと考えて居た。

当時は、中国はアヘン戦争と義和団事件で欧米列強が分割支配した植民地状態だった。

しかし、アメリカは南北戦争の影響で、中国の植民地化に後れを取ったのだ。

だから、アメリカは中国に対して自国製品を輸出して儲ける市場としての魅力を感じていたのだ。

しかし、日本は満州鉄道の共同経営のアメリカからの提案を断ったことによって、日米の対立を招くことになった。

1929年にアメリカ、ウォール街を震源地として大恐慌が起こった。

これに対してフランクリンルーズベルトはニューディール政策を行ったが、これは大失敗だった。

アメリカの経済を回復させるためには、戦争特需が必要だった。

日本も大恐慌の影響で深刻な不景気になった。

この不景気を解決する目的と、また同時に今後、起こるだろう巨大戦争で勝利する目的で、石原莞爾は柳条湖事件を起こして、満州事変に発展させて、彼の指導で満州を日本軍の統治下に置いた。

この時代は、イギリス、フランス、アメリカは海外に植民地(中国を含む)を持っており、日本も中国に植民地を持つことは、当時の認識では自然なことだった。

だから、イギリスのリットン調査団は、日本に有利な勧告を行った。

それは実質的に日本の満州国統治に関して容認する内容の勧告だった。

しかも、歴史的に満州は、漢民族とは違う、女真族の住んで居る地域だった。

日本の満州国建国は、抑圧された満州人を漢民族から解放するという意味合いを含んでいた。

1937年7月7日、義和団事件の協定に則って北京市に駐屯していた日本軍に対して何者かが発砲した。

そこに居たのは中国国民党の軍隊だったので、これをきっかけに日本と中国国民党は戦闘状態になった。

しかし、この発砲は、日本軍と国民党軍を衝突させて、双方を疲弊させて、最終的に中国共産党が中国の支配権を握ろうとした企みだったと考えられている。

戦闘は大規模化した。

そして、戦闘は主に日本軍と国民党軍の戦いであって、共産党の軍隊と日本軍との戦闘は限定的だった。

これは、共産党は、日本軍と国民党軍の双方の疲弊を求めていたからである。

日本は国民党の汪兆銘と和睦を成立させる。

汪兆銘は国民党のナンバー2の人だった。

汪兆銘の国民党政府と蒋介石の国民党政府は対立することになった。

蒋介石の国民党政府は、首都の南京を日本軍によって陥落させられたが、アメリカ、イギリス、ドイツの支援が有ったので強気だった。

蒋介石は首都を重慶に移して日本軍と戦った。

アメリカは、もともと中国に自国製品を優先的に輸出して金儲けをいたいという欲望があった。

だから、アメリカはインドシナ半島を経由して、軍事物資や、食料や、金銭などを蒋介石軍に送って支援した。

もし、アメリカが蒋介石を支援しなければ、蒋介石は日本政府と和睦をしていただろう。

ある意味でアメリカが蒋介石を使って、日本軍に懲罰的行為もしくは代理戦争を行使したのだ。

この蒋介石を通して日本とアメリカが戦ったのが、本当の意味での日米戦争の開戦と言える。

アメリカは、メキシコとの戦争で、テキサス州を横取りして、ハワイを白人移民の入植を利用して、自国領として、さらにフィリピンを植民地にしていた。

フランクリンルーズベルトは、大恐慌で苦しんでいた。

そして、1939年にチャーチルとヒトラーが戦闘状態になったが、アメリカ国民はヨーロッパの戦いに参加したくなかった。

しかし、ルーズベルトは英独戦争に参加したかった。

それで、日本を利用して英独戦争に参加しようと画策した。

日本に、国務長官 コーデル・ハルを通じて、日本が絶対飲めない条件を提案した。

米政府は日本軍が全ての中国領内から撤退することを求めた。

尚且つ、アメリカ政府は石油を一切日本に輸出しないと通告した。

これは、当時も今もあまりにも無謀な提案だった。

日本としては、アメリカがインドシナを経由して重慶の蒋介石を支援しなければ、中国での戦争は和睦に帰結したことを理解していた。

しかし、このアメリカの無謀な提案は、事実上の日本への宣戦布告だった。

アメリカとの戦争を回避しようと、近衛文麿総理は外交努力をしていたが、このアメリカの強硬な姿勢に対してアメリカの真意は日本との戦争を望んていると理解し、近衛は政権を投げ出した。

そして、日本はアメリカから仕掛けられた戦争に対応するために政権を交代して、日米戦争を遂行する為の内閣を発足させた。

これが東条英機内閣だった。

東条英機は軍人だったので、日本が外国に攻められた場合は日本を守る義務があった。

東条英機自体は、まったく戦争を望んでいなかった。

しかし、東条はアメリカが戦争を仕掛けて来たので、やむを得ず、戦争遂行内閣を引き受けた。

日本政府は、米英との戦争は避けられないが、出来るだけアメリカを刺激せずに、イギリスとだけ戦争しようという作戦を立案した。

しかし、それに反対したのが、山本五十六だった。

山本五十六は、アメリカとの戦争を希望した。

山本五十六は、一部でアメリカ政府と内通していたという噂がある。

山本は、日本政府のアメリカとは戦わずに、イギリス、オランダと戦うという作戦に反対し、パールハーバー作戦を立案し、日本政府にこの作戦を承認させた。

しかし、パールハーバー作戦は大失敗に終わった。

真珠湾攻撃では、アメリカの最新鋭の戦艦ノースカロナイナ、戦艦ワシントンなどは無傷だった。

また、アメリカのエンタープライス、ヨークタウンなどの空母も居なかった。

アメリカの空母には全く被害は無かった。

また、ハワイの石油や食糧庫、軍事施設も無傷だった。

つまり、ハイワ作戦は日本にとっては、只の第一次大戦の旧式戦艦を沈めただけで、何の戦果もなかった。

それだけでなくて、これによって、アメリカは日本とドイツとに戦火を開くことになった。

この様に、日本はアメリカの中国を自分の市場としたいという欲望の道具にされた。

また、日本はアメリカの戦争によって大恐慌から脱出したいという欲望を叶える道具に利用された。

これが日米戦争の正しい歴史的事実である。

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