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3世紀、弥生時代の倭人の風俗を茂木誠先生と見学する

 茂木誠先生の動画を見ながら、魏志倭人伝に出て来る倭人とはどんな人たちだったのか、見て行きたい。
 
 魏国は、三国志の魏国である。
 魏国は漢帝国が崩壊した後に出来た国であり、漢が紀元前2世紀から、紀元後2世紀までなので、3世紀の出来事である。

 倭国は100余国に分れていた。
 倭人が100余の国を作って分立していた。
 邪馬台国の絶対的な覇権は確立していなかった。

 魏志に登場する多くの国が九州北部の国である。

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ポイント

・ 倭人は入れ墨をしていた。

・ 倭国は温暖な気候で、四季を通じて生野菜を食べる。

・ 倭人は赤い顔料を身体に塗っている。

・ 人が亡くなった後、葬儀をして、死後喪が明けるまで、肉を食べない。

・ 葬式が終わった後、皆で川に行ってみそぎをする。

・ 身分の上下があり、下級の身分の人が、身分の上の人に道で会った時は、身分の下の人は後ずさりして、道のわきによける。

・ 身分の上の人に話をする時は、しゃがんだり、ひざまづいたりして、両手を地に付け、うやうやしさを表現する。

・ 倭人の返答の声は『アイ』(ハイ)という。(中国で承知したことを表す)然諾と同じようなものである。」
 
・ 王、女王でも、古墳の様な大規模な墓を作ったという記録はない。

・ 倭国には、漢字の読み書きの出来る人が居て、中国、魏国と当時の中国語で対話、交流していた。

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「男子は大人、子供の区別無く、みな顔と体に模様の入れ墨している。
いにしえより以来、その使者が中国に来たときには、みな大夫と自称した。」

今、倭人のの水人(海女)は、沈没して魚やあわびを捕ることを好み、入れ墨はまた大魚や水鳥を威嚇する為であったが、後には次第に飾りとなった。
諸国の入れ墨はそれぞれに異なって、左にあったり、右にあったり、大きかったり、小さかったり、身分によっても違いがある。」

「その風俗は節度があり、みだらではない。
男子は皆、(何もかぶらず)結った髪を露出しており、木綿でハチマキをしている。
その着物は横幅が有り、ただヒモで前で結んでているだけで、ほとんど縫っていない。
女性はおでこに髪を垂らし、(後ろ髪を)折り曲げて結っている。
女性は一重の掛け布団のような衣をつくり、その中央に穴をあけ、そこに頭を入れて着ている。」

「倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。
みな裸足である。
屋根、部屋がある。
父母と兄弟は別の所で寝る。
赤い顔料をその体に塗るが、それは中国で粉おしろいを使うようなものである。」

「人が死ぬと、棺に収めるが、(その外側の入れ物である)槨はない。
土で封じて盛った墓を作る。
始め、死んでから停喪(かりもがり)する期間は十何日である。
その当時は肉を食べず、喪主は声をあげて泣くが、他人は歌い踊って酒を飲む。
埋葬が終わると一家そろって水の中に入り、洗ったり浴びたりするが、それは(一周忌に白い絹の喪服を着て沐浴する)中国の練沐のようなものである。」

集会の時の振る舞いを見ると、父子、男女の違いはない。
人々は酒が好きである。
尊敬すべき目上の人に合うと、かしわ手を打って、ひざまづく代わりの行為とする。
倭人の寿命は長い。
女性はつつましやかで、やきもちを焼かない。
おいはぎ、こそどろが無く、争い事は少ない。
上下関係がはっきりしていて、目上の者は、威厳がある。
租税の取り立て制度がある。
立派な家もある。
市場があり、物々交換をしている。

「下層階級の者が道路で貴人に出逢ったときは、後ずさりして(道路脇の)草に入る(=道を譲る)。
言葉を伝えたり、物事を説明する時には、しゃがんだり、跪いたりして、両手を地に付けうやうやしさを表現する。
貴人の返答の声は『アイ』という。(中国で承知したことを表す)然諾と同じようなものである。」

http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm

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