「夏の葬列」という小説がある。
私は高校生の時に初めて読んだ。
とても印象に残った。学校の教科書ではなく、通信教育の教材だったと思う。
内容は、小学3年生位の男子の主人公と、小学6年位の女子の友人だ。
その二人は空襲を恐れて田舎に疎開した。
村では東京から来ている子供は二人だけだったから、いつも行動を共にしていた。
昭和20年8月上旬頃、田舎の葬列を目にする。
都会では葬列を組んで、歩くという風習は無かったが、田舎では葬列を組んで歩く風習があった。
その時、アメリカ海軍の戦闘機、艦載機が飛んできた。
アメリカの戦闘機を追い払う戦闘機は日本には居なかった。
それだけの、飛行機、パイロット、燃料がなかった。
だから、アメリカ海軍の航空母艦が日本近海をうろうろして、動くものに機関銃を撃ったのだ。
そもそも、昭和20年の7月8月になると、大都市ばかりでなく、中小都市も焼夷弾で焼け野原になってしまって、もうこれ以上弾を落とすターゲットが無かった。
アメリカ軍は、目標を達成してしまったので、手持無沙汰で、空母を本土の極近海まで寄こして、艦載機の機関銃で、動くもの、動く人、民間人、老人、女、子供をターゲットにして、機関銃を撃っていた。
それが彼らの暇つぶしだった。
”How many NIP(JAP)did you killed today?” そらが、アメリカ軍のあいさつだった。
もうかれこれ、10年位前になるか、NHKでアメリカ軍の艦載機、グラマンF6Fに取り付けたカメラの映像を放映した。
アメリカの戦闘機のカメラのフィルムは当時の現場の映像を詳細に捉えていた。
戦闘機は、逃げ惑う日本人の老人、婦人、子供に向かって機関銃を撃っている光景が、NHKのテレビで全国放送された。
このNHKの報道は、私が思うには、在日アメリカ人や、アメリカ大使館からはクレームが来たのか、それ以来ガンカメラの映像は報道されあたのを見たことはない。
昭和30年代になって、「夏の葬列」が出版された。
まだ、戦争の記憶が生々しく、日本人の生活は貧しかった。
夏の葬列、の中では、極ありふれた日常として、アメリカ空母の戦闘機が、民間人を機関銃で撃って来る。
その当時は、昭和30年頃は、わざわざ説明する必要もなく、アメリカ軍が民間人を機関銃で撃っているのは、空気を吸うの同じく、当たり前のことだった。
しかし、敗戦後、占領軍の政策で、アメリカ軍を悪く言うラジオ、新聞は停波、発行中止になった。
そして、多くのアメリカ軍とアメリカ政府に不都合な本、雑誌が悪書に指定されて、回収されて、焼却された。
だから、戦前のアメリカ研究の本や、戦前の日本史の研究、戦前の政治の研究などは、アメリカに不都合な部分が含まれていれば、全て回収されて、焼却された。
いわゆる、「焚書」というやつだ。
夏の葬列では、アメリカ軍の行動は当たり前過ぎて、問題にならない。
そうでは無くて、小学6年のひろ子が、小学3年の主人公を何とか救わなくては、と思って防空壕に連れて行こうとする。
その時、主人公はひろ子が白い服を着ていたので、目立ってアメリカに撃たれてしまう。あっちえ行け。と言って突き放す。
ひろ子は、後ろへのけぞった。その瞬間に米軍機の機関銃の弾がひろ子の身体に当たり、ひろ子はゴムまりの様に飛び上がった。
この本は、とても印象深く高校生の私の心に残った。
しかし、この本は、政治的に不謹慎、もしくは敵対的と思われる内容なので、紹介されることは少ない。
初出:「ヒッチコック・マガジン 第四巻第九号」宝石社
1962(昭和37)年8月1日発行
「夏の葬列」 山川方夫