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紀元前2世紀頃からの朝鮮半島の歴史

まず、前漢時代の地図を見ると、南部の「韓」というエリアと、漢帝国の直轄地を意味する「郡」とに分かれている。

現在では、朝鮮南部地域の韓と言われるところから、倭人の土器がでたり、後に前方後円墳が作られたりしているので、「韓」は倭人の国だったことが解っている。

それで、前漢の地図では、漢帝国の郡がいくつも置かれているが、ここは漢人が住んでいたというのではなくて、漢帝国の軍事拠点(要塞)があったと言われている。

このエリアは漢帝国の東の果てになっており、維持費も掛かり、人の住んでいる形跡はない。ここに郡を置いた理由は、主に倭国と韓を含む倭人との交易の為に群を置いていたする説が有力だ。

朝鮮半島の北部にいる部族の狛(当て字)、穢(当て字)の民族が、恐らく後の[ 高句麗、女真族 ](ツングース系)の部類であって、後に朝鮮半島に南下していって朝鮮半島に住み着くことになる。

二番目の図(後漢)を見ると、穢狛(当て字)、東沃泪、高句麗が登場する。

この三部族はツングース系の女真族の一派である。

馬韓、弁韓、辰韓の三国は、考古学的遺跡から、倭人が移り住んで作った国であることが解っている。

漢帝国の後に、大和王権の直轄地の任那(伽耶)。倭人の作った西の国である百済と、倭人の作った国でる東の新羅が登場する。

その後、南の倭人系の民族と、北方系、ツングース女真族系の高句麗が一つの国になり、姓も以前は漢字二文字で名乗っていたのを、金、などのチャイナ風の漢字一文字の姓に改めた。

それ以降、倭人系統と女真族系統の混血が今の朝鮮人になった。

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