1917年、資本主義が未発達だった農奴の国、ロシアで共産主義革命が起きる。
そして、世界恐慌が起きて、日本は昭和恐慌に入る。
当時、日本共産党は非合法であり、国際共産主義団体(コミンテルンの傘下にあった。)
当時、日本は三井、三菱、住友、安田などの財閥が経済界をリードしていた。
しかし、帝国大学、士官学校、兵学校などのエリート層を中心に、社会主義によって正しく、豊かな社会を目指そうというムーブメントがあった。
知識階層は、共産主義にあこがれと期待は非常に強かった。
日本では、共産主義は非合法であったが、知識層には大人気の思想だった。
当時としては、すごく斬新で、目新しい思想、潮流の共産主義だった。
共産主義は、生まれたばかりであり、まだどの様なものか本当の姿は、知られてなかった。
また、当のロシア、ソ連でも、試行錯誤していた。
そんなころ、日本軍の陸軍は、天皇を中心とした社会主義的体制を目指す「皇道派」と、現体制を維持しつつ、統制経済、つまり社会主義経済を取り入れる「統制派」に別れていた。
皇道派は 226事件で決起したが、昭和天皇が反対したことから、社会主義的統制経済を目指す統制派が陸軍の主導権を握った。
統制派は、もともと社会主義経済にシンパシーを抱いて居たので、ソ連とは戦いたくなかった。
そして、統制派や、陸軍の首脳の中には、日本とアメリカが戦争をして、日本がヘトヘトになった時に、ソ連に攻めてもらって、日本を共産主義にしようという、ソ連の占領による社会主義革命を目指す勢力が多く活動していた。
当時は、知識層に共産主義はトレンドだった。
当時の知識層は、カールマルクスの 「資本論」を より所としていて、「資本論」の理屈立ては、知識人をうならせる内容だった。
最終的に、マスクスが間違っていたと、判然とするのは、ペレストロイカとグラスノスチの後の、ソ連崩壊までまたなければならなかった。
つまり、戦前の昭和という時代は、知識層に共産主義思想が大流行して、軍部も政治家も、知識層の多くが共産主義に夢と理想を持っていた時代だったのです。
今では考えられない時代だったのです。
昭和の歴史を読む時に、この点を踏まえて置かないと、間違えてしまう、ということです。