1.古事記に出て来る和歌
古事記には、100首以上の和歌が登場します。
これらは、本当に素朴な歌です。
何だか意味が良く解らないけど、聞いてみて美しい、とか聞いてみて心がざわめく歌が多いです。
この頃の歌は、上代の西暦 600年 700年 より前の歌で、作者なども明確でない物も多いと思います。
ゆっくり霊夢を見ていて、3首ほど紹介があったようですが、とても美しい。
ただ美しいだけでなく、破格です。
5音 7音にも深くこだわらず、自由である。
また、形容詞、形容詞、名詞、名詞、とか、ちょっと変わったスタイルの歌もあります。
平安朝以降だと「誰がどうした」とかが入っているのですが、古事記の和歌では、よく意味が解らないけど、美しい音だから歌い継がれた、というような歌も多いです。
2.軽皇子の兄妹の物語り
天皇家もそうですし、弥生時代では、異母兄妹間の結婚が多くみられました。
弥生では、一族以外の人と結婚するのが望まれたようですが、はやり一族での結婚もあったのだと思います。
古事記では、天皇家一族の血縁関係のある男女が結婚する場合が多いです。
そんな中で、軽皇子の兄妹のカップルの話は、とても興味深かったです。
私は里中満智子さんのマンガで読んだのですが、二人のロマンスが興味深かったです。
当時の天皇家や日本人の間では、同じ女性から生まれた兄妹の結婚は禁止されていました。
父親が同じで、母親が違えば問題なかったです。
結局、愛を貫いた二人は殺されたようです。
3.天皇家の試練
古事記を読んでいると、初期の天皇家は倭国の一部族に過ぎなかった様に書かれています。
近隣の有力者と姻戚関係を作って、連合したり、熊襲を征伐したり、最初の頃は天皇家も出雲の王朝には勝てなかったと書いてありますし、神武東征の話でも、奈良盆地の勢力と戦って敗れた話も残っています。
古墳時代に入ってしばらくしてから、まず奈良盆地を勢力圏とした連合政権の首長としての地位を固め、次に倭国の各地に兵を送っていったと書いてあります。
最初から大きな国だった訳ではなく、弱小国家からはじめて、少しづつ大きくなっていったと書いてあります。
古事記は、天皇家の最初の倭の一部族から始まった、成長と苦難の歴史が書かれています。
とても面白いです。
https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1002121270.html