私は、日本は政党政治を続けるべきだったと思っている。
どうして、政党政治をやめなければならなかったのか、一つの解答を得た。
日本の軍部は皇道派と統制派に分かれていたが、226事件で統制派が勝利を得た。
統制派、というのは統制経済、社会主義経済を目指していた。
天皇はそのまま据えておいて、経済はロシア革命にならって、統制経済にするという一派だ。
彼らの多くが、親ソ連、親毛沢東だった。
ソ連が共産党による一党独裁体制を敷いて、そこそこの実績を宣伝していたので、日本のインテリ層や、軍部、政治家も共産主義を理想とする人物が、予想以上に多かった。
それで、ソ連と同じ、一党体制を敷くということで、政党を解散して、大政翼賛会に統合していったのだった。
共産主義、社会主義の嵐が日本でも吹き荒れていた結果だったのだ。