去年でしたか、TBSラジオの 荻上チキセッション の 番組内で、ジャーナリストの神保哲生さんが
「 調査の段階で、日米の交渉の中で、日本側がボーイング側に機体強度などに関して質問しようとしたら、米側から 『あなたがたは日米関係をメチャメチャにしたいのか?』 と言われた。それで日本側は何も言えなくなった。そして報告書は曖昧な結論に行きついた。」という発言をしたのを非常に強く私は覚えている。
神保さんの、その音源は、検索すれば出てくると思います。
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【独自】日航機の隔壁「警告」した内部文書入手 元事故調査官・斉藤孝一氏「初めて見た」
「こんな文書は見たことがない。日航から報告もなかったのでは」。
1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故から12日で丸37年。
「ミスター隔壁」とも呼ばれたベテランの元調査官、斉藤孝一氏(77)は、こう証言した。
西日本新聞が入手した内部文書を読んだ反応だ。
日付は、事故発生の約1年4カ月前。
製造元の米ボーイング社から、日本国内の駐在員を介し、日本航空の技術者に渡った英文のテレックス。
事故機を含む同型機について、事故原因となった後部圧力隔壁を含む胴体部分の疲労度に懸念を示した上で、運航する日航に対し、機体を詳しくチェックする補足的な検査の「前倒し」を求めていた。
ボ社の責任者とみられるサインも入っている。
製造元が実は、機体の安全性に疑問符をつけていた-。
文書の存在は専門誌で指摘されていたものの、全文は公になっていなかった。
運輸省航空事故調査委員会(当時)の事故調査報告書によると、日航は早期に補足検査をする計画を立てた。
にもかかわらず、隔壁部分については実際に着手する前に事故が発生した、とされる。
事故調は、その経緯や計画自体については問題視していない。
果たして、着手までのタイムラグを含め、計画は妥当だったのか。
もっと早く実施できなかったのか。
何より、点検を急げば520人もの命が犠牲になった事故自体を防げたのではないか。
事故の予見可能性につながる事実であるにもかかわらず、元調査官の証言通り事故調に報告がなかったとすれば、検証の機会さえ奪われたことになる。
事故機の事前の安全確認に落ち度はなかったか。
“警告”は見過ごされたのか。
テレックスは計9枚あり、1984年4月24日付。
表題には「補足構造検査(SSI)に関するボーイング社の推奨事項」とある。
日航のボーイング747-100SR機(事故と同型機、計7機)は、ボ社の推奨値より高い気圧に保つ「与圧」を行って運航しているため、機体の疲労度の進み具合を検証した結果、客室や後部圧力隔壁を含む「与圧構造部分」について、「実行可能な、なるべく早い時期にSSIを開始すべきだ、との結論に達した」と記されていた。
SSIの実施箇所の一つとして「後部圧力隔壁」と明示されている。
高い与圧により、気圧が下がる上空でも地上と同等に近づければ利用客は快適に過ごせる一方、それだけ機体の耐久性は落ちる。
ボ社が文書を発信するに至ったのは、元々は、受信者となった日航の技術者が安全性を懸念し、ボ社に早期のSSIを進言したことがきっかけだったという。
西日本新聞 (野間あり葉)
[日航ジャンボ機墜落事故]
1985年8月12日午後6時56分ごろ、羽田発大阪行き日航123便ジャンボ機が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落。
乗客乗員524人のうち520人が死亡した。
死者数は単独事故としては世界の航空史上最悪。
87年、当時の運輸省航空事故調査委員会は、78年に起きた尻もち事故で、米ボーイング社の作業員が機体後部の圧力隔壁の修理をミスし、日航、運輸省の担当者が見逃したことが原因と結論付けた。
西日本新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/df15356846a1ca8aa963501b3bdc0f4817ad042f