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久米宏、最後のレギュラー番組終了で思い出す“不倫相手との救急車騒ぎ”  

投稿者:ジュリア  投稿日:2020年 6月24日(水)19時09分57秒編集済 唯一のレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)を6月末で降板することを番組内で発表したフリーアナウンサーの久米宏。75歳になった今も幅広い支持を得ているというが、ただ、長らく芸能取材をしてきた筆者からすれば、不倫相手を深く傷つけた男が、今までテレビやラジオで活躍してきたことのほうが信じられない。

 早大卒業後、TBSに入社した久米は、1978年にスタートした『ザ・ベストテン』の司会を務めたことで脚光を浴びた。

「軽佻浮薄な人柄が視聴者にウケて人気を博した久米は、学生時代に知り合ったスタイリストの麗子さんとすでに結婚していましたが、人気が出ると、彼女の勧めもあって79年にTBSを退社。フリーに転身しました。ところが、その翌年、女性週刊誌が、2人が別居していると報道。おしどり夫婦だと思っていただけに、びっくりしたのを覚えています」(元TBS社員)

 久米は、テレビだけでなくTBSラジオの情報番組でも司会を務めていたが、その番組の移動中継車に乗るキャスタードライバーのS子さんと約6年間、不倫関係にあったのだ。

「久米が離婚してくれないことに業を煮やしたS子さんは、赤坂の事務所で久米に離婚を迫ったそうです。そこで話がこじれたため、S子さんは事務所のトイレで睡眠薬を飲むと、手首を切って自殺を図った。一命はとりとめたものの、救急車を呼んだことですべてが明らかになってしまったんです」(前出の元TBS社員)

 S子さんの実家は、TBS本社の目と鼻の先にある老舗工芸店だった。マスコミが取材に殺到したことで居づらくなった家族は、一時どこかに避難していたが、結局、どこかに引っ越してしまった。久米は、S子さんの家族も犠牲にしてしまったのだ。

 当の久米といえば、麗子夫人に頭が上がらない気の弱い亭主だったことが明らかになった。謝罪会見でも、傍らで夫人が目を光らせていたのが筆者の記憶に残っている。

 その後、久米は、85年にスタートしたテレビ朝日系夜の報道番組『ニュースステーション』のキャスターに抜擢された。高視聴率を取ったが、開始20年目の04年に番組は終了。原因は視聴率ではなく、1日100万円超ともいわれる久米の高額ギャラだと噂された。

 今回のラジオ番組の降板も、テレ朝のときと同様、ギャラの問題だと指摘する声がある一方、番組での久米の政権批判が原因ではないかといわれている。

「検察庁法改正案についての安倍晋三首相の答弁を『カンペを読んでいるだけ』とか、コロナ対策では『アベノマスクの言うことは信用する必要は全くない』などとコメント。これらの発言が制作サイドを刺激したのではないかともいわれています」(前同)

 不倫相手の自殺未遂事件を取材した筆者は、久米がどんなに強烈な政権批判をしても、軽佻浮薄な発言にしか聞こえなかった。もっともそんな軽薄な久米だからこそ、生き馬の目を抜く放送界を生き抜いてこれたのかもしれない。

(日刊サイゾー 2020.06.24)

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あの久米宏(68)が人生初の講演を行った。「ラジオとテレビと格闘した46年。ほぼ50年です。」と題し、秘話を語ったのだが、やはり、あの話だけは封印されたままのようで‥‥。



 優れたテレビ、ラジオ番組などに「ギャラクシー賞」を与えるNPO法人・放送批評懇談会。今年、創立50周年を迎え、「50周年記念賞」が贈られた。久米は、喜びをこう表現した。


「よく大きな賞をいただいた方が身に余る光栄とおっしゃるのを不思議に思っていたが、本当に身に余る光栄があるんだと、初めて知りました」

 久米は67年にTBSに入社。軽妙な語り口で人気を集め、「ぴったしカン・カン」で全国的な知名度を得て、79年に退社し、フリーに転身した。

 講演では「ザ・ベストテン」(TBS)や「ニュースステーション」(テレビ朝日)など、自身が関わった名番組の裏話を披露したのだが、輝かしいキャスター人生の裏では、決して語ることのできない「女とカネ」にまつわる“黒歴史”も存在するのだ。ベテランの芸能デスクが声を潜めて言う。

「久米は妻の麗子さんとは学生時代に知り合い結婚したのですが、退社翌年に女性誌で別居が報じられました。実は久米さんには6年越しの不倫相手がいて、相手の女性は彼が司会をしていたラジオ番組の移動中継車に乗る、キャスタードライバーでした。背がスラリと高く、目の大きな派手な顔だちの美人です。81年、女性は久米さんの赤坂の事務所を訪れ、奥さんとの離婚を迫ったのです」(前出・芸能記者)

 こじれた話し合いの途中、女性がトイレで手首を切ってしまった。驚いた久米はすぐに救急車を呼んだのだが、これでコトが明るみに出てしまったのだ。女性は睡眠薬を飲み、左手首を2センチほど切った。傷が浅かったこともあり、3日ほどで退院となったのだが、当時の模様を芸能レポーター・石川敏男氏が振り返る。

「女性とのことは、以前から噂になっていた話でした。久米さんのところは奥さんが強くて、あの記事が出てしまったことで、彼の人生が大きく変わってしまったのです。久米さんは気が弱い人で、彼にとっては相当こたえた話だったと記憶しています。取材陣ともずっと揉めていました。それ以降、インタビューなどにはほとんど応じなくなりました」

 この騒動で、久米はしばらく番組の出演を自粛する。フリーとしての船出は順風満帆から一転、押し寄せる報道陣におびえ自宅の中で震える日々を過ごすことになった。追い打ちをかけるように、もう一つのトラブルが久米を襲ったというのだ。芸能記者が語る。

「当時、久米さんは川崎市に住んでいて、フリー転身をきっかけに地元の銀行に融資を申し込み、自由が丘に転居しようとしていました。銀行は一度融資を許可したのですが、騒動で仕事がなくなったと見るや融資を翻したのです。すでに購入予定も決まっていたので、相当揉めたようですよ」

 その後、「ニュースステーション」で硬派なキャスターとして定着。タブーとなった黒歴史は人々から忘れ去られていった。現在、レギュラーはラジオ番組のみだが、今回の受賞の感想を前出・石川氏が語る。

「引退したわけではないですが、最近あまり目立つこともありませんでした。第一線で活躍し続けている人が選ばれなかったことには、少し違和感がありましたね」

 過去を振り返りながら講演した脳裏には、苦い思い出も横切ったに違いない。


 (アサ芸プラス  https://www.asagei.com/excerpt/14286)



https://www.cyzo.com/2020/06/post_244788_entry.html
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