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陸軍大将・田中静壱の最期 「腹切るのは痛そうだな」  

投稿者:ジュリア  投稿日:2020年 8月23日(日)22時03分10秒 昭和20年8月15日未明、阿南惟幾陸軍大臣が切腹。

その報を受けた田中静壱はこういった。

「腹切るのは痛そうだな」





田中静壱は兵庫県竜野出身である。

龍野中学校(今の龍野高校)を卒業後、陸軍士官学校に入学。陸軍将校への道を歩む。

成績優秀で陸軍のエリートコースを進み、上海で実戦を経験し、憲兵司令官などを経て、東日本の本土防衛を担う東部軍管区司令官に就任した。

昭和20年3月9日、田中静壱57歳。

しかし着任早々、米軍の東京大空襲によって多くの住民が犠牲になり、5月の空襲で皇居の正殿が焼け落ちた。

防空を担う司令官である静壱は大いに責任を感じ、それを忘れることがなかった。

静壱は、なおいっそう米軍迎撃計画作成に精励したが、皮肉にも、歴史は彼に米軍ではなく味方の日本の反乱軍と戦うことを求めた…。


8月14日、天皇が終戦を決意したという情報が漏れる。

徹底抗戦を主張する畑中健二少佐ら一部の軍人は、静壱に面会を求めた。

彼らは、東部軍管区司令官として大軍の指揮権を持つ静壱を説得して、徹底抗戦のためのクーデターに参加させようとする腹だった。

畑中らは入室するなり、静壱に一喝された。

「馬鹿もん!貴様らの言わんとする事は、わかっとる!帰れ!」
青年将校を青ざめて、転がるように退出していった。


田中静壱に一喝された畑中らは、今度は近衛師団長・森赳を説得するものの効果は上がらず、なんと彼を殺害してしまう。
そしてニセの師団長命令を発令。

「宮城(皇居)を占拠し、玉音盤を奪取せよ」

天皇の終戦を告げる詔を録音したレコードを奪おうとしたのだ。


反乱軍は宮城を占領し、大捜査を開始。

8月15日の朝である。


この報を受けた静壱は、クーデターの鎮圧を決意。

しかし、軍を派遣しては先頭になる可能性がある。

ゆえに、なんと静壱はわずか2,3人の下士官と憲兵だけを連れて宮城に乗り込んだ。


乾門で反乱軍の兵隊に銃剣を突きつけられたが、かまわず「連隊長を呼んで来い」と命令。

兵も相手が陸軍大将なので恐縮して従った。

そして現れた連隊長に言った。


「お前のところの師団長が殺されているんだ」

今行動している事はニセ命令だ

すぐ撤兵しろ」


そうしているうちに反乱軍の将校が現れた。

静壱は「お前たちは何をしているのか分かっているのか!」と怒鳴りつけた。

相手は完全武装、こっちは丸腰にもかかわらず…。

反乱将校は、あまりの迫力に恐れをなした。

静壱「捕縛せい!」。

反乱将校はあっさりと縛につき、クーデターは鎮圧された。

丸腰で敵中に乗り込んだ田中静壱司令官の大胆と怒号が歴史を変えた瞬間だった。


クーデターを鎮圧する前に、静壱は部下に命令した。

「阿南陸軍大将とはどういう自決をされるか、聞いて来い」


部下「阿南閣下 自決はどういう方法でやられますか?」
阿南大臣「作法通り十字に切って、頸動脈を切る」
部下「介錯はどうしますか?」
阿南「そんなものはいらん。
そんなうまく人の首切った奴はいないはずだ」

そして阿南は自刃。

クーデター鎮圧後、静壱はその報告を受ける。

部下が「うちの田中大将にどうされますか」と尋ねると、かの名言が出る。

「腹切るのは痛そうだなぁ」


しかし、すでに田中静壱は自決する覚悟を決めていた。

決して彼は、防空の責任者でありながら非戦闘員を死なせ、皇居の炎上を許した責任を忘れていなかった。
宮城事件鎮圧後、その功によって静壱は天皇に拝謁を賜る。

その後、残務処理や最後のクーデター計画の鎮圧などの業務に追われ、九日後経つ…。


8月24日。

「俺の拳銃どこにやったんだ」

と副官の塚本少佐に尋ねたが、彼は静壱が自殺するつもりだとがわかっているため、
「あれ?どこにいったでしょうね~?」
と、とぼける。

クーデターを鎮圧した時の勢いで静壱は塚本少佐を怒鳴るが、それでも塚本は拳銃を渡さなかった。

しかし、軍司令官の奥さんが塚本に
「可哀想だから拳銃を渡してやってください」

と言い、観念した塚本は拳銃を静壱に渡した。

そして田中静壱は心臓を打ち抜き、自殺した。



遺書

御聖断後、軍は良く統制を保ち一路大御心に副ひ奉りあるを認め深く感謝仕候。

茲に私は方面軍の任務の大半を終わりたる機会に於いて、将兵一同に代リ闕下に御詫び申し上げ、皇恩の万分の一に報ずべく候。

閣下並に将兵各位は、厳に自重自愛、断じて軽挙を慎まれ以て皇国の復興に邁進せられん事を。


辞世

聖恩の 忝けなきに 吾は行くなり



終戦の隠れた功労者・田中静壱の功績は、地元の白鷺山の碑に記されている。

「田中静壱紀功碑 勲功輝悠久」
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