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残酷な天使のテーゼ  

投稿者:ジュリア  投稿日:2006年11月30日(木)02時16分52秒
 <15年・・・・・・か。人はどうして、最愛の人と抱き合っているときに、しにたいと思うのだろうか??このことは、以前、NHKの通信講座で、通信添削を受けたことがある。NHK講師曰く、「そのような感情は普遍的な感情であって、あなただけが抱く感情ではない」と。
 ジュリアは、思う、そうだ、しぬることと、そのような時に抱く感情とは、低層でつながっているいるのであって、決していやなことから逃れようとする後ろ向きな感情ではないのだ。その時、世の逆説的な、驚くべき真理の一端が垣間見られるのだろう。
 しかし、この様な傾向を、釈尊や白隠の言葉は超越していると想像する。彼らの考えは、あたかも、太陽を肉眼で明確に補則、目視確認すると同じことだろう。
 ジュリアは、明確な実感を持って前記のようなことを言っているのだが、しかし、それは釈尊と白隠の言葉を超えてはならない、というか、超えたと思うことは愚かなことなのだろう。
 ただ、私は知っている。澄んだ瞳で見る陽光に照らされた、黄色いチューリップの花弁の妖精は、あらゆるものを超越した存在の中に己が消滅している瞬間が、何かを私に密かに告げていることを。>
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