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子供たちのアイドル、上野のゾウまで殺した鬼畜米英!!  

投稿者:ジュリア  投稿日:2005年 8月13日(土)18時53分17秒編集済
 <ジュリアもゾウさんは大好きだぁ。子供の頃、「かわいそなぞう」の話を聞いて、悲しかった。敵も見方もなく、ただ、戦争のせいで、どうしてこんな、可哀想なことになってしまったのかと思う。それだけではなくて、大勢の女工さんや、お年寄りが殺された。軍人さんも死んだ。ジュリアの親戚も、友達の親、親戚も死んだ。あんな戦争なんて、もう二度とこりごりだ。だから、今度こそは日本の外交はしっかりと計画と策略を立てて、二度と戦争の巻き添えにならないように気をつけなければならない。
 つくづく、東條首相は可哀想な人だと思うし、ルーズベルトは人種差別主義者で、日本人を大勢殺した。絶対にルーズベルトと、トルーマンと、米国民を許さない。命あるかぎり!!!>

<上野動物園>ゾウ殺害の回想録を公開 戦後60年企画展で

 第二次大戦中の1943年、上野動物園(東京都台東区)が猛獣処分のため2頭のゾウを殺した時の様子を、同園の職員だった故澤田喜子(よしこ)さんがつづった回想録が、同園で開催中の戦後60年企画展で、初めて公開されている。絵本「かわいそうなぞう」のモデルになった2頭と、澤田さんが写った写真もある。犠牲となった動物への哀惜の情と戦争への憤りが伝わってくる。
 園は当時、東京都の命令で、ゾウやライオン、トラなどを殺した。空襲で猛獣が解放されたら危険だとの理由だった。
 回想録によると43年8月、窓口係だった澤田さん(当時25歳)は飼育係に声をかけられた。「(ゾウの)トンキーとワンリーを可愛がってもらったが、もう会えなくなるかもしれない。記念に写真を撮ろう」。澤田さんが「ゾウを疎開させるんですか」と問いかけると飼育係は「それができればいいんだけど」と言って黙った。
 ライオンやトラは毒殺したが、ゾウは毒入りの餌を食べなかったため、水も餌も与えず餓死させることになった。澤田さんは「芸をすれば餌をくれると思って足を折り、鼻を高々と上げて餌をねだった」とトンキーの様子を描く。見かねた飼育係が、与えないはずの水の入ったバケツを、象舎へ運んでいたという。
 殺される以前、ゾウは午前中に園内を散歩し、澤田さんのいた案内所にも、おやつのサツマイモをもらいに来ていた。
 澤田さんは「お豆腐のようにやわらかかった象の舌の感触は忘れられない」と記し「何の罪もない動物が何で犠牲になるのか」と憤る。
 澤田さんは40年に園に就職し、餌の調達係を務めるなどして82年まで勤務した。退職後に動物園での思い出などを約200編書きため、園飼育課長だった故小森厚さんに預けたが、04年12月に急逝した。小森さんの遺族が園に回想録を託した。
 小宮輝之園長は「戦中の記録はほとんどなく資料としても貴重だ。夏休みで訪れる子どもたちに戦争について考えてほしい」と話す。企画展は9月11日まで。戦争遺児の写真なども公開されている。問い合わせは同園(03・3828・5171)。【佐藤岳幸】
(毎日新聞)http://blogs.dion.ne.jp/ameharelog/archives/728742.html
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